「40代からの海外駐在体験~マレーシア編~」技術部兼国際部 長野昌利

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No.657 2018年5月

【マレーシア駐在】
 中国生活も4年半が過ぎた48歳の頃、日本に出張した時、上司から急な呼び出し
がありました。中国に帰るという朝、わずかな時間を見つけ駅の喫茶店で会うことになりました。帰任の話だろうと思いましたが、上司からは「申し訳ないがマレーシアの品質サービス責任者を頼まれてくれ。二年したらきっと日本に戻す。」という話でした。マレーシア工場は全世界への輸出拠点で、そこの品質とサービスを担うのは重責だなと感じましたが、中国で相当クタクタになっていたのと、また2年という期間限定でもあり、思いっきり世界を飛び回ってみようと心に決めマレーシア行きを引き受けました。

【駐在地】
 マレーシア、セランゴール州シャーラム地区。マレーシアは13州からなる立憲君主制で政権交代が行われたことはなく、マレー、インド、中国系の三民族で成り立っていて政情は比較的安定しています。工場はセランゴール州、州都のシャーラムというところにありました。首都クアラルンプールから車で30分ほどです。(写真1、2)

写真1:会社があるシャラーム地区

写真2:住んでいたコンドミニアム

【駐在先】
 工場は操業後、約40年の歴史があり、従業員にもベテランが多く、会社経営も輸出が堅調な結果、比較的安定していました。マレーシアブランドのエアコンとして市場の信頼も獲得していました。担当の組織はグローバルカスタマーサービスセンター(GCSC)という名で、品質とサービス組織がありました。従来は二人の日本人が駐在していましたが、私の着任を機に兼務に変わりました。工場の日本人は4名で、生産規模は中国の約半分でしたので比較的、現場は安定していました。

【会話問題】
 マレー系、インド系、中国系の混成組織でしたが、品質部門にはマレー系、インド系が多く主に英語が使え、サービス部門は中国系が責任者であったこともあり中国語を使えましたので、事務所では二か国語を使い分け、秘書は日本語堪能でしたので、結果、三ヶ国語を使い分けていました。人間の脳って鍛えればなんとかなるものだなと感心した次第でした。ですのでマレーシアでは言葉の問題は全くありませんでした。

【駐在業務】
 品質責任者の仕事は、開発・品質業務経験・工場責任者経験が役に立ち、開発品の品質、サプライヤー部品品質、市場サービス/品質などの課題対応に関係部門を巻き込んで対応させるマネジメントを行うことができました。一方、初めて経験するサービスの仕事は世界中で起こるサービス・品質問題を拾い集める仕事でした。どちらかというとサービスの仕事に重きを置く必要もあって、最初、心に決めた通り世界中を飛び回りました。アジア地域の他、ヨーロッパはノルウェー、スウェーデン、フィンランド、フランス。中近東は、アラブ首長国連邦、オマーン、クウェート、珍しいところでイラン、インド。オセアニアはオーストラリア。中南米のパナマ、メキシコ、カリブ海諸国、コロンビアなど、2年と少しの駐在の間に、23回を超える海外出張をこなしました。どこの国に行ったときも、その国の住宅を訪ねる機会があり人々の生活スタイルを興味深く観察できました。特に北欧への輸出品で問題を出したスウェーデンには計6回出張し、多くのお客様宅を訪ねることができました。仕事の合間の休日には、ストックホルムの有名観光地ガムラスタンという旧市街を満喫しました。駐在の間、世界の人々と会話し、日本人とは異なる価値観なども知ることができました。北欧スウェーデンまで約9000km、カリブ諸国まで17000km、動いた距離を計算したことはありませんが、地球を数周したはずです。(写真3~6)

写真3:地図上に印を付けたマレーシア駐在中の出張先

写真4:ストックホルム郊外の森の中にあるお客様の夏の別荘

写真5:インドニューデリー郊外

写真6:シドニー市街地が臨める動物園

【現地の人々】
 マレーシアの気候は年中30℃ほどで湿度は低く、台風、地震もなく過ごしやすいところでした。当時のマハティール首相が主導し、2020年に先進国入りを目指したルックイースト政策は、日本に学ぶ姿勢が強く、仕事も私生活も非常に快適でした。イギリス領時代の仕事スタイルの定着、ベテラン社員に多くの仕事を任せることができた結果、休日出勤は皆無でした。中国での生活と比べると、まさに「南の国の楽園」で、その幸せを噛み締めながら期間限定の2年間を過ごしました。

【最後に】
 43歳を過ぎて海外駐在を経験し本当に良かったと思えます。良き人生をいただいたと会社には感謝しています。もっと若かったら人生もっと変わったかもしれません。海外駐在、それは人生を変えるチャンスと信じ、チャレンジすることをお勧めします。