![HVAC&Rの歴史](img/history-mv01.jpg)
1950~
揺籃期
日本を代表する専門見本市・展示会の始まり1956
第1回
第1回 展示会の開催
「冷凍」・「冷房」に関する普及啓蒙活動の一環として企画された。
協会単独企画となったが、展示担当の委員の尽力により小間を集め
27社83小間、来場者は10,000人といったスタートであった。
1957
第2回
出展者49社。
来場者 15,000人に。
![第2回の様子:写真](img/history-1950-img01.jpg)
1958
第3回
出展者59社。
1959
第4回
出展者54社。
来場者約30,000人。
同年11月 ガット東京総会貿易自由化の方針が決定。
外国製品の流入に対し、国際品需要喚起を狙う展示も。
1960~
1960
第5回
出展者79社。来場者 約40,000人以上。
来場者の増加、物流の国際化に伴い展示会は冷凍業界をPRするという役割も担っていった。
1961
第6回
出展者80社。
来場者 50,000人。
![第6回の様子:写真](img/history-1960-img01.jpg)
1962
第7回
出展者102社
1963
第8回
第8回「全国冷凍冷房展」へ名称変更
高度経済成長にともない、生活の質の向上を求める社会的な動向が、
一般の来場者の足を展示会に向けることとなった。
業界関係者だけでなく学生・親子連れなども来場するようになるなかで、
各社の展示は来場者の声を意識した小間づくりを展開していった。
![親子連れの来場者:写真](img/history-1960-img02.jpg)
![カークーラーとコンパニオンたち:写真](img/history-1960-img03.jpg)
コンパニオンたち
![カークーラー展示:写真](img/history-1960-img04.jpg)
![当時の企業ブース1:写真](img/history-1960-img05.jpg)
![当時の企業ブース2:写真](img/history-1960-img06.jpg)
![当時の企業ブース3:写真](img/history-1960-img07.jpg)
1964
第8回
出展者124社。
成立期
「新技術紹介の場」としての展示会へ1965
第10回
出展者114社。
1966
第11回
出展者113社。
●展示会を通じた国際交流
・国産品の需要を喚起するコーナー「国産クーラー特設コーナー」を設置。
・米国通産省より参加要請にてUSトレードセンターに「輸入コーナー」を設置。
●新技術紹介の場として
・「コールド チェーンの仕組み」「動くモデル冷凍サイクル」といった
新技術をPRするためのパネルを展示をするようになっていった。
![第11回冷凍・冷房展 エントランスのようす:写真](img/history-1960-img08.jpg)
エントランスのようす
![コールドチェーンの仕組み:写真](img/history-1960-img09.jpg)
![動くモデル冷凍サイクル:写真](img/history-1960-img10.jpg)
1967
第12回
出展者116社。
1968
第13回
出展者106社。
「躍進する “冷”産業」と題した展示。
日本冷凍空調工業会 創立総会
1968年11月11日、「日本冷凍空調工業会」(以下、「工業会」と略記する)の創立総会開催。
任意団体の「日本冷凍機製造協会」から社団法人へと移行した。
この総会で、工業会は新たに「輸出委員会」を新設し
輸出の推進を一大方針として掲げた。
1969
第14回
出展者118社。 大手町都立産業会館・科学技術館の2会場を使用。
1970~
1970
第15回
第15回 来場者数10万人突破
出展者135社、来場者数111,000人。
“本会場内”に輸入品コーナーを設置。国産品と輸入品を「同時に」展示した。
1971
第16回
出展者137社。
同時期に米国で開催されていた「冷暖房空調展」と相互協賛し
互いの会場にPRのためのブースを設けた。
1972
第17回
出展者131社。
1973
第18回
出展者124社
来場者数82,400人。
![1973年東京国際見本市会場入口の様子:写真](img/history-1970-img01.jpg)
激動期
オイルショックが変えた展示会の在り方1974
第19回展 延期へ
1973年第1次オイルショックによる苦渋の決断だったが
このことが、その後の冷凍空調業界の在り方を考え直すきっかけとなった。
1975
第19回
出展者107社。来場者 75,000人。
「資源を生かして、よりよい環境づくり」
をテーマとし、業界全体のエネルギーに
対する考え方の変化がうかがえるといえる。
また、これ以後2年に1回開催に。
![第19回 展示会外観:写真](img/history-1970-img02.jpg)
1977
第20回
出展者94社。来場者 70,283人。
1979
第21回
出展者97社。来場者 82,233人※海外からの来場者含む。
「省エネ/省力/省スペースによる繁栄」をテーマに。
1980~
1981
第22回 第2次オイルショックの影響により延期。
1982
第22回
出展者114社。来場者87,194人※海外からの来場者含む。
「効率と 省エネを追求した技術とシステム」をテーマとし、
より「省エネ」に特化した展示内容へ。
1984
第23回
出展者112社。来場者82,057人※海外からの来場者含む。
「ソーラーシステム展」併催。
当時注目されていた「ソーラーシステム」を展示のなかに組み込みより
業界一丸となって「省エネ」に取り組んでいることをアピール。
![第23回展示会外観:写真](img/history-1980-img01.jpg)
![省エネを強調したパネル:写真](img/history-1980-img02.jpg)
1986
第24回
第24回展
展示会名称変更
「HVAC&R JAPAN」
国際的にも通用する展示会を目指し、名称を変更。
展示会では米国のメーカー団体ARI会長を
はじめとして各国の業界団体トップが多数来訪した。
![HVAC&R JAPAN LOGO](img/history-1980-sarcle.png)
発展期
進む国際化1988
第25回
出展者99社。来場者 101,049人。
1990~
出展者100社。来場者 96,680人。
はじめてワークショップセミナーを行った。
OHPなどを使って出展者は
この場で自社製品や技術、
システムをユーザーに紹介する
まさに「新たな情報発信」の場の名に
ふさわしい企画だった。
![ワークショップセミナーの様子:写真](img/history-1990-img01.jpg)
出展者101社 来場者79,180人
1992年にドイツで開催された冷凍・空調見本市ドイツ・フランスの
展示会・見本市主催会社などを視察したことがきっかけとなり、
ドイツフランクフルトの「ISH」が出展することとなった。
![フランクフルト展示会:写真](img/history-1990-img03.jpg)
![ISHとのミーティング:写真](img/history-1990-img04.jpg)
オゾン層保護という新たな課題と魅力ある展示を取り入れつつ、
展示会事業は着実な前進を続け、21世紀を迎えることになるのである。
新章へ
新たなステージへの歩み1999
日本冷凍空調工業会 創立50周年
2000~
出展者138社。来場者96,449人。
テーマ「地球環境と21世紀の冷凍・空調テクノロジー」。
工業会創立50周年を記念し、「50周年特別企画」と銘打って
それまでの歴史を振り返る企画展として
・冷凍空調技術の進歩を表現。
・実際の「モノ」をみて質量・設置面積・消費電力 などを比べることで、
技術がいかに進歩したのかを参加者に認識させた。
![社会基盤で活躍する冷凍空調技術:写真](img/history-1990-img06.jpg)
![冷凍空調機器の今昔:写真](img/history-1990-img07.jpg)
環境問題への着目
また、この展示会で工業会は、
「オゾン層保護への取組み」・「地球温暖化防止への取組み」という2種類のパネルを作成。
当時まだ注目度の低かった「地球温暖化」が国際的な問題としてシフトしていく中で
オゾン層保護についての日本の活動を説明するものであった。
![オゾン層保護・地球温暖化について説明したパネル展示:写真](img/history-1990-img08.jpg)
説明したパネル展示
2010~
出展者188社 来場者27,383人
テーマ「さあ、グッ度な未来の冷熱技術を見にいこう」
ヒーバッくんのデビュー
![ヒーバッくん](img/history-heabakun.png)
ヒーバッくんのデビュー
2016年開催より。展示会の広報活動の要素として
展示会方法活動1つとしてキャラクターとして確認できる。
2020~
2020
感染症拡大の影響をうけ開催中止
生活スタイルの変化に伴い、展示方の在り方も新しい手法が問われているなかで、
HVAC&Rはオンラインでのプレ開催からのリアルと連動したWebコミュニケーションによる新しい取り組みで展示会をさらに未来に導いていく。
出展者117社 来場者5,098人 ※covid-19の影響
テーマ「HVC&Rには未来の答えがある」
個社VRブース